「続・こころの言葉」        

● 人間には、だれ一人として、さけて通ることのできない、4つの門があります。
第1の門は、この世に生まれることです。第2の門は、歳(とし)をとり老人になることです。第3の門は、人それぞれに違いはあっても、病気になることです。そして、第4の門は、かならず死ぬということです。

この私は、死ぬことが約束されて、今、生きているのですね!
そこで、神仏は
「最後の門に到着するまでの間を、どう生きるか?」という宿題を、皆にお与えになると共に、この大きな宿題を解く、カギやヒントをお示しになられました。だから、お寺は「神仏からの宿題」を解くための、心の学校なのですね。

● 「たった一人しかない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったならば、人間に生まれた甲斐(かい)がないじゃないか」
 この私の命を、この肉体をいただき、人間に生まれてきて、よかったですね。だから、生きていることを、人間であることを実感できるのですね。頂いた、この私の命を、この肉体を大切にして、生かさなければなりません。そこで、”どう生きるか?”を自分で考え、自分で決める必要があります。
本当の宗教とは、自分の頭で考えることなのですよ!そして、”生きて、生きて、生ききって”、最後に、サラリと、未練なく「長い間、お世話になりました。ありがとうございました」と、この私の肉体を、お返しして、故郷のお浄土へと、帰っていけばいいのですね。


● この私の生命が、今あるためには、父母の生命が二つ、祖父母の生命が四つ、曽祖父母の生命が八つ、わずか三代前までで、十六もの生命が必要でした。
さらに、さかのぼってみると、十代前で、一千二十四人、二十代前で、百四万八千五百七十六人、四十代前で、なんと一兆九百九十五億一千百六十二万七千七百七十六人になるのですね!これほど多くの、生命があってこそ、今、この私が存在できるのですね。
この、多くの人々こそが、あなたのご先祖なのです。ですから、あなたは、まさしく、ご先祖の代表に、ほかなりません。
そして
神仏や、多くのご先祖から、いつも応援されていると共に、「あなたは、二度とない人生を、悔いなく、さわやかに生きていますか?あなたの生命は、輝いていますか?」と、問い続けられているのですよ!
さあ、大きな声で答えましょう!「みなさんの分まで、しっかりと生きて、幸せになりますからね。見守っていてください」と!!


 梅は、きびしい寒さに耐えながら、香りのよい、花を咲かせます、どんなに寒くても、逃げません。
蓮は、きたない泥沼の中で、きれいな花を咲かせます、どんなに、きたなくても、逃げません。
梅は、寒さを受け入れて、仲良く、蓮は、泥沼をきらわず、調和しあって、生きています。
私たちが生きている、この世界も、苦しみや、つらいことが、いっぱいです。でも、そこから逃げる事はできません。
それならば、苦しみや、つらいことを受け入れて、苦しみや、つらい事と調和して、生きていこうでは、ありませんか!
梅は、寒さに耐えて、きれいな花を咲かせ、蓮は、きたない泥の中から、すばらしい花をさかせます。
あなたも、この世界を生きぬいて、美しい花を、咲かせてくださいね!お願いしますよ!!

● 過去の良かった事を、思い出してばかりいては、いけません。未来を、夢見てばかりでも、いけません。 およそ、過ぎ去ったものは、すで に、捨てられたのです。また、未来は、まだ来ていません。
過ぎ去ったことで、クヨクヨしない。これからの事に、ビクビクしない。
「今、ここで、この私が、何をすれば、いいのか?」と、いうことが、一番、大事です。確かなのは、今、この時間だけなのですから!
朝、目がさめたら、まっさらの、この私のいのち、今日も、私のいのちをキラキラと、輝かせていこうよ!!


● 布施(ふせ)・・・・私は、物でも、心でも、よろこんで分けあいます。
持戒(じかい)・・・・私は、心にブレーキを持って、きまりを守ります。
忍辱(にんにく)・・・・私は、悲しみや、苦しみに耐えて、明るく、生きていきます。
精進(しょうじん)・・・・私は、二度とない人生を、大切にして、なまける事なく、励んでいきます。
禅定(ぜんじょう)・・・・私は、どんな苦しい時でも、深く考えて、心を整えていきます。
智慧(ちえ)・・・・私は、み仏さまの教えを、道しるべにして、正しい判断をしています。
この6つを、実行していれば、人生に迷うことなく、キラキラと輝いた、すばらしい人になれるでしょうね!

● 「一」と「止まる」という字を、合わせると、「正しい」と、いう字になるのです。
正しい判断をする時には、一度、止まりましょうね。止まるから、正しい判断が、できるのですよ。
「正しい」という字は、あなたに、「一度、止まってみませんか?」と、呼びかけているんですね! 

● この私は、ついつい、自分勝手な欲望や、怒りや、愚かさに引きずられて、イライラしたり、悪口を言ったりして、苦しみ、なやみます。
そんな時には、家のお仏壇(または神社やお寺)の前に、座ることです。私たち人間は、聖なる場所や、神仏の前に、身を置くと、ひとりでに、心がしずまり、正直な自分に返る事ができるのです。
「ああ、私がまちがってたな!」 こんな思いが、わいて来るはずです。私たち人間は、誰でも、心の中に、み仏さまをいただいているのです。
この私の欲望や、怒りや、愚かさの陰にかくれて、見えなくなって、いるのです。あなたの、心の中のみ仏さまを、欲望や怒りや、愚かさのゴミをはらって、見せてくださるのが、お仏壇(神社やお寺)なのですね!


● 一周忌や三回忌の、ご法事とは?
み仏の、お弟子になられて、ご修行中の故人(ご先祖さま)を、励まして差し上げると共に、生きている、この私が「どう生きるか?」を、学ばせていただく日こそが、ご法事にほかなりません。
美しいお花、心のこもった、おそなえ物、香りのよい、お線香・・・・。親戚の方々やお寺さまも、お参りに来てくださって、「これで、りっぱにご法事ができた」・・・・。
いいえ、これだけでは足りません。亡き故人と、ご縁の深かった皆さんが、故人のお声や、お顔をしっかりと思い出して、「あなたが、喜んでくださるような、生き方を、私はします」、「悔いの無い人生をあゆむ為に、私は、ほんとうの幸せを、求めてまいります」と、故人やご先祖さまに、お誓いした時、はじめて、ご法事が終わるのですね!