「ぶっきょうスクール」通信教育のテキスト
この講座を学んで、「かんのん会々員」の資格を取りたい人は、必ず、事前にメールで、申し込みを済ませ、許可を得て下さい!!
(第1回講座)プリンターで印刷して、お使いください。 @、「よろこんで、与える人間になろう。 物があれば物を、知識があれば、知識をみんなに与えよう。 無ければ、自分の中に育てゝ与えよう。花は、美しさを惜しまず、小鳥は、楽しい歌を惜しまないで、誰にでも、与えます。 与える時、人は心ゆたかになり、惜しむ時、いのちは貧しくなる。 よろこんで、与える人間になろう。」 (基本精神) この講座を学ぼうとする人は、「よろこんで、与える人間になろう」という、精神を忘れない為に、まず、あなたの出来る事から、実行してみて下さい。 A、「投げらた、ところで起きる、ダルマかな」 人間、どこへ投げられても、そこで起き上がり、「私は、こんなところはイヤだ」などと言わずに、与えられたところを、わが住み家として、ドシッと、座っていたいものですね。私の人生にも、この「すわり」が欲しいですね。 「病が、また1つの世界をひらいてくれた、もも咲く」(詩人・坂村真民先生) 病気に、手を合わせる事ができるようになった時、病気は悲しいこと、不幸な事ではなくなって行きます。人間、苦しい時、助けはないか?逃げ道はないか?とキョロキョロせず、それらを、ドンと受け取り、「病気になったおかげで、こんな生き方ができた」と言えるように、なりたいものですね。 B、み仏さまの世界へのパスポート 1、正しいものの見方を身につける。(正見・しょうけん) 2、正しい考えをする。(正思惟・しょうしゆい) 3、正しい言葉づかいをする。(正語・しょうご) 4、正しい行動をする。(正業・しょうごう) 5、正しい生活をする。(正命・しょうみょう) 6、正しい努力をする。(正精進・しょうしょうじん) 7、み仏さまの教えを忘れない。(正念・しょうねん) 8、いつも心静かに、自分をみつめる。(正定・しょうじょう) 「正しい」と言うのは、み仏さまの教えに合っているか?どうか?ですね。 「この8つを実行していれば、まちがいなく、み仏さまの世界へ行けますよ」と、 そう言いながら、1つのリンゴを半分にして、あなたに差し上げ、残りの半分を、私がいただきました。 「なぜリンゴを半分、あなたに差し上げたか、お分かりですか?」それは、「1つのリンゴを、2人で食べた方がおいしいし、幸せだからですよ!」 このような考え方が、正しいみ仏さまの教えなのですね!! (第2回講座) 「ご先祖さま」について。 @、このホームページの表紙にある「こころの言葉」を開き、次のページの「続・こころの言葉」の、黒●を参照。ご先祖さまの数についての文章を、お読み下さい。 A、「仏教って、なあ〜に?」を開き、@とAの文章を、お読み下さい。 B、「ガン告知のあとで」探求社発行。著者の鈴木章子さんは、西念寺の奥様です。 昭和63年12月31日、4人の子供さんと、ご主人を残して、47才の若さで、お亡くなりに、なられました。闘病生活をしておられる人には、是非とも、読んで頂きたい1冊です。 『亡き父母や、ご先祖さまも、沢山いらっしゃる「帰るべき、私のふるさと」で、再びお会いできるのかと思えば、なんだか、うれしい気持ちがいたします。 好き勝手に、生きてきた私なのに、突然の事故死ではなく、自分の生き方や、死を問わずにはいられない、ガンという病気を与えられた事を、感謝しています、と。 死への旅立ちは、「さよなら」と、明るく別れたいが、思い出すことが、沢山ありすぎて、きっと涙ぐむ事でしょう。それでも私は、み仏さまの国への旅立ち。涙の乾いた後で、「よかったね」と、喜んで下さいね』 救われた人の、ことばです。 『伊藤栄樹様(元・検事総長)、「人間、死ねばゴミになる」、残された子供に、残された妻に、ゴミを拝めというのですか? あなたに、とりましては、亡くなられた、お父上やお母上も、ゴミだったのですか? 人間、死ねばホトケになる、この1点が、人間完成の、最後の「しめくくり」でしたのに、あなたは自分を、ただの粗大ゴミにして、しまったのですね。未完成のままに!』 人間社会の地位や名誉は、なんの役にも立ちませんね。死を前にしては! (第3回講座) 「ご供養」について。 @、宗教は、人間の生き方の根本を教えてくれます。 生きる為には、食べなければなりません。食べるという事は、命あるものから、命を頂く事です。 だから、お米さん、ニンジンさん、大根さん、お魚さん、牛さん、豚さん、あなたがたの命を頂いて、生かして、いただきます。 そう言って手を合わせ、ふかぶかと頭を下げないと、いけません。宗教とは、命に手を合わせることです。 A、このホームページの表紙にもどり、「よ〜く考えてみよう」を開いて、「A」の文章を、お読み下さい。 B、「亡き人は、いつも、すぐそばにいて、見守って下さっています」と言う想いが、ご供養の心の源ですね。 C、お墓参りでの、おばあちゃんとお孫さんの会話です。 「お墓はね、亡きホトケさまの体だから、きれいに洗ってもらうと、うれしいんですよ」 「ふ〜ん。それじゃ、ホトケさまって裸なの?」 「そう、ホトケさまはネ、この世の欲望を、みんな脱ぎ捨てて、裸になったご先祖さまの事よ」 「ホトケさま、寒くない?」 「もちろん寒いよ。寒いけど、ホトケさまは寒い時は、寒さと仲良しになってしまうのネ。ホトケさまは、暑い時は暑さと一緒だから、苦にならないの。こうして、お参りに来た時、『私たちは、ホトケさまのお気持ちに沿うよう、しっかり、やっていますよ』と、ごあいさつをするんです」 「そしたら、このお墓ワカッタって言う?」 「ウン言うよ!おじいちゃんも言ってるし、ひいおじいちゃんも、ひいおばあちゃんも言ってるよ。あなたに聞こえないの?」 「聞こえないよ」 「そう。でも今に聞こえるようになるよ。そのうち、おばあちゃんも、このお墓に入るのだから、その時は、お参りに来てね。そして、お墓洗ってね。そうすると、おばあちゃんの声が、きっと聞こえるから」 「わかった。僕きっと来るよ。だけど、おばあちゃんは何時、ここへ入るの?」 「う〜ん、もうじきね」 |