「仏教スクール」通信教育テキスト(続)

「第4講」 お寺について
@、「さびしくなったら、お寺へいらっしゃい。静かな境内の石段に、だまって腰をかけて
いるだけで、笑顔を取り戻すことが、できるから・・・。
少し疲れたなあ、と思ったら、み仏さまと語ればいい、お堂の中で、心のうちを、お話なさ
い、生きて行く、元気がわいて来るから・・・。
どうしたら、いいか迷った時には、み仏さまに、お聞きなさい、素直な心になって、『み仏
さま、教えてください』と、お願いすればいい、あなたの行く道を、教えてくださるから・
・・。」


A、み仏の船に乗るか?乗らないか?を決めるのは、あなたです。
名医から、もらった良い薬でも、患者が飲まない為に、その病気が治らないのは、それは、
その医者の責任では、ありません。

二度とない人生を、悔いなく、生きる道を教えても、それを、実行することなく、苦しみの
人生を、送る人がいても、それは、教えた人の責任ではありません。

彼岸(ひがん・み仏の国)へ、渡す船があっても、それに乗らなければ、ひがん(幸せの
浄土)に渡ることはできません。

みほとけの船に乗るか?乗らないか?を決めるのは、あなた!
ほんとうの宗教は、じぶんの頭で、よく考えることを、あなたに求めます。なにも考えない
で、言われた通りに、すればいい、というは、マインド・コントロールの宗教ですね。

あなたが、死ぬまぎわになって、後悔しても、もう、とりかえしは、つかないのですよ!!

B人間には、だれ一人として、さけて通ることのできない、4つの門があります。
第1の門は、この世に生まれることです。第2の門は、歳(とし)をとり老人になること
です。第3の門は、人それぞれに違いはあっても、病気になることです。そして、第4の門
は、かならず死ぬということです。

この私は、死ぬことが約束されて、今、生きているのですね!
そこで、神仏は
「最後の門に到着するまでの間を、どう生きるか?」という宿題を、皆にお
与えになると共に、この大きな宿題を解く、カギやヒントをお示しになられました。だから、

お寺は「神仏からの宿題」を解くための、心の学校なのですね。


「第5講」 お墓について
@、「この命を、この肉体を頂くことが出来たからこそ、生きていることを、人間である
こと
を、実感できるのですね。
頂くことができて、よかったと思うならば、この命と肉体を大切にして、生かさなければ
なり
ません。 その為には『どう生きるか?』を、自分で考え、自分で決める必要があり
ます。
そして、生きて、生きて、生き切って、サラリと未練なく『長い間、お世話になり
ました。有
り難うございました』と言って、この私の肉体をお返しするところが、お墓な
のですね」


A、私たち人間には、誰にでも出会う、四つの大事件があります。
第一番目は、この世に生まれること。第二番目は、歳を取って、老いる事ですね。第三番
目は、大小はありますが、病気になります。第四番目は、イヤでも、死んで行かなければ、
なりません。これらは、誰も避ける事ができませんね。

お墓参りをした時に、ご先祖さまが、この私に向かって、言っておられますよ。「お前も、
いつかは、ここに来るんだぞ。その日まで、お前はどう生きるのか?悪の道を行くのか、
善の道を行くのか。家族仲良く、兄弟むつまじく生きるのか、憎みあって生きるのか。
自分で納得できる、人生を生きるのか?さあ、どう生きるのだ!これが宿題じゃ!」とね。

この大きな宿題を、自らが解き明かし、それを実行した時にこそ、本当の意味での、
ご供養になるのですよ。 さあ今から、すぐに宿題に取り組んで下さいね!

お墓は、ご先祖さまから、宿題を頂くところ。「あなたは、ここに来る日まで、どう生き
るのですか?」という、大きな宿題です。


B、人間死んでしまったら、肉体は魂の抜けガラかも知れないが、この肉体を頂いたから
こそ、人間として生きる事ができるのです。

亡き父母が死ぬまで、何十年もの間、一緒に生きてくれた肉体です。 なん人もの子供を
守り、育ててくれました。 この私を産み、育て
てくれました。 お骨になっても、父母
の身体だ。亡き父母そのものです! だから、大切におまつりするんだ。感謝しても、
感謝しきれないんです。だから、お墓におまつりして、感謝し、供養するんですね!

この肉体を頂いたおかげで、何十年もの長い間、み仏さまの教えを、聞かせて頂く事がで
きた。人間として生かせて頂いた。 
それを思うと、とても「お葬式なんていらない。お墓なんて必要ない」など、とは言えな
いよ。 まるでゴミを捨てるように、この肉体をお返しする事なんて、私にはできませんね。


「第6講」 お仏壇について
@、私たちは、ついつい自分勝手な欲望や、怒りや愚かさに引きずられて、イライラし、
心にもない悪口をたたき、苦しみ・悩みます。そんな時には、お仏壇に向かうことです。
人間は聖なる場所や、神仏の前に身を置くと、ひとりでに心がしずまり、正直な自分に
返ることができるのです。「ああ、私が間違っていたな!」 こんな思いが涌いてくる
はずです。
私たち人間は、誰でも、心の中に、み仏さまが居られるのです。欲望や怒りや、愚かさ
の蔭にかくれて、時々、見えなくなってしまう、心の中のみ仏さまを、この私の欲望や、
怒りや愚かさをはらって、見せてくださるのが、お仏壇なのです。お仏壇は、心の鏡な
のですね。

A、お仏壇の前に座ると、ご先祖さまの声が聞こえてきます。「いつの日か、あなたも
死を迎えるのですよ。その時まで、あなたは、どのように生きるのですか?二度とない
人生を、どう生きるか、お仏壇に向かって、真剣に考えなさい!」
お仏壇は、この私が学ばねばならない、大切なことを教える『人間道場』なのですね。
もう一つは『家庭教育の場所』です。
自分の子供に、人間としての生き方を、きちんと教えなければならない責任が、大人
にはあります。以前は、お仏壇の前に、子供を正座させて教育しました。
それは親も子も、み仏さまやご先祖さまの前で、身を正すことによって、真剣に真実
を語り合う、覚悟ができ上がるからです。そこに、ウソの入る余地はありません。
今こそ、日本の家庭に必要な事だと思います。
「人間だから、祈ることができるのです、感謝ができるのです。人間だから、供養が
できるのです、ざんげができるのです、修行ができるのです。人間だから、み仏さま
に会えるのです、この私が、み仏さまに成ることができるのです。
お仏壇の前に、しずかに座って、心をととのえ、いろいろな事ができるのです。お仏
壇の前に座ると、人間らしさが、よみがえって来るのです。」

B、ご法事には、子供や孫が、たくさん集まりますね。その時こそ「わが家の歴史
教室」を開きましょう。初代のご先祖さまから、一番、新しく亡くなった人まで、
どのご先祖さまも、あなた達と血がつながっているんですよ。
この方々のおかげで、みんなは今、こうして生命を頂いて、生きていられるのよ。
有難いことねぇ!
わが家には、これ程たくさんの、ご先祖さまが居られて、今日のご法事では、
これらのご先祖さまに、心から感謝する日なんだよ。お仏壇の中には、みんなの
歴史が納められています。学校ではできない、生命の源をたどる教育なのですね。