@「地上に平和をもたらす為に、私が来たと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込む為に来たのである。私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと、仲たがいさせる為である。そして家の者が、その人の敵となるであろう」(聖書・マタイ伝)
イエス・キリストの、この言葉は、私たちの心をゆり動かします。日常の中に埋没して、迷っている私たちに「真実の生き方とは、なにか?平和とは、なにか?」という、きびしい問題提起ですね!
本当の宗教とは、常に私たちの誤りを見ぬいていく、いとなみです。親子、兄弟、親類、友人といった、単なるつながりではなく「本来の人間関係とは、いかなるも のであるか?」という問題を、投げかけている のですね!
A仏教には昔から、いろいろな宗派があ る為、お互いに、自分の宗派が一番だと言って、ほかの宗教をけなしていま す。しかし、そういう事ばかり、やっていて、いいの のでしょうか?
「世界宗教者・平和会議」が、毎年、天台宗の 比叡山で開かれており、すべての宗教が、平和の為に、手をつないで 行こうとしています。近い将来、仏教を中心として、 世界の宗教が1つになりた いものですね!!
B2,000年を迎えるに当たって、私たちが、是非とも、やっておきたい事は、「世紀末」を利用して、人類滅亡の予言を、誰がまきちらしていたのか?そして、どのマスコミがあおり立てていたのか?ということを、よく見極めておくことですね!
「終末や奇跡」などによる、マインド・コントロールを乗り越えて、その裏にある「意図」を見ぬく思考能力と、冷静な態度を身に付けることこそが、今の、混沌とした社会に生きる、私たちにとって、是非とも、必要なことでしょう
Cこの私は、自分以外の人の力で「生んでもらった」のですから、この私の身体は、私の所有物ではありません。 ですから、その後の人生で、思い通りにならないことがあっても、当然でしょう。 老いることも、病むことも、死ぬことも、自分でコントロールすることはできません。 仏教は「かぎりある命を、どのように受け止めて、生きるか?」という、いのちの教え・生き方の教えです。 私たちが豊かで、長生きが出来るようになっても、「人は、なぜ生きるのか?」・「この私の命とは、なにか?」といった、最も根本的な問いかけを、忘れたままでは、この私の心が、落ち着くことはありませんね。 Dお唱えやすい、ご先祖さま供養のための、感謝と誓いのことば 「この私のいのちを、誕生させてくださった、父と母に感謝します。父と母の命を、誕生させてくださった、祖父と祖母に感謝します。祖父と祖母のいのちに、つらなる、数知れぬご先祖さまに、深く感謝いたします。 ご先祖さま、お一人お一人の命が、脈々と受け継がれて、この私の命があるのです。なんと、ふしぎで尊く、ありがたいことでしょう。 この私は今、ご先祖さま供養のために、感謝のまことをささげ、その、ご恩にむくいるべく、二度とない人生を、悔いなく、生きることを誓います。 ご先祖さまからいただいた、かけがいのない、この命を、多くの人々の幸せづくりに、役立てることを誓います。ご先祖さまから頂いた、かけがいのない、このいのちを、世界の人々のために、役立てる事を誓います。 最後に、尊い命を、まっとうする事なく、この世を去っていかれた、天災・戦争・事故などの犠牲者すべての、ごめいふくを心から、お祈りいたします。 わがいのちを、いただいた、母あるは幸いなり、父あるも幸いなり、ご先祖さまあるは、さらに、さらに幸いなり。」 E人と人間との、ちがいって、なあ〜に? 人と人が、向かい合ったとき、そこに「間」ができる、つまり、人が二人以上になって、「間」を持ったとき、人は「人間」になるんだ。 大切なことは、この「間」を、どんな「間」にするかってことさ。幸せになるための「間」を作りあうのか?不幸に向かって行く「間」になるのか? もちろん、人、人、人、みんなが、幸せになる「間」を作りあいたいよね。お互いが、幸せになる「間」を持ったとき、人は、ほんとうの「人間」になるんだね! あなたは、人として生まれ、人として死んでいくのか?または、人として生まれ、人間となって死んでいくのか? 「人」から、「人間」にならなくっちゃ、いただいた生命が、もったいないじゃないか!! F人間ですから。 「生きることに、つかれたなあ」って、思うことがありますか? 「生きる力が、なくなったなあ」と、思うことがありますか? 誰にでも、あることなんですよ。人間ですから。 静かに、すわって、荒ぶった心を、整えましょう。心がととのえば、見えなかったものが、見えるようになり、聞こえなかったことが、聞こえるようになります。 見えてきたのは、おかあさんの顔、おとうさんの顔、それとも、み仏さまのお姿。聞こえてきたのは、おかあさんの声、おとうさんの声、それとも、み仏さまのお声。 おかあさんや、おとうさんや、み仏さまに、お会いすれば「生きる力」を、いただく事ができるのですよ! 私は、人間ですから!! Gみ仏の船に乗るか?乗らないか?を決めるのは、あなたです。 名医から、もらった良い薬でも、患者が飲まない為に、その病気が治らないのは、それは、その医者の責任では、ありません。 二度とない人生を、悔いなく、生きる道を教えても、それを、実行することなく、苦しみの人生を、送る人がいても、それは、教えた人の責任ではありません。 彼岸(ひがん・み仏の国)へ、わたす船があっても、それに乗らなければ、ひがん(幸せの浄土)に渡ることはできません。 みほとけの船に乗るか?乗らないか?を決めるのは、あなた! ほんとうの宗教は、じぶんの頭で、よく考えることを、あなたに求めます。なにも考えないで、言われた通りに、すればいい、というは、マインド・コントロールの宗教ですね。 あなたが、死ぬまぎわになって、後悔しても、もう、とりかえしは、つかないのですよ!! |