@、「ほんとうの悲しみ」
まだ生まれて3ヶ月あまり、ようやく首もすわって、笑うようになって来た、かわいい盛りの赤ちゃんでした。
若夫婦はもちろんの事、ご両親にとっても初孫で、おそらく自分たちの命に代えても、惜しくないほど、かわいがっていました。
本当にかわいい、かわいい赤ちゃんが、急に亡くなってしまいました。
その顔を見ると、静かな寝顔のようで、今にも、ぱっちりと目を開きそうに思われ、命の灯が消えてしまったとは、とても信じられませんでした。
おさな子や、若い人の死に会うと、その親の気持ちを考えるだけで、痛ましくて、なりません。
ひっそりとした、お葬式ではありましたが、悲しみは、たいへん深かった。
多くの人が、声を上げ、あるいは声を忍ばせて、泣いていました。お葬式が終わり、最後のお別れとなり、小さな棺のふたが開けられました。
そのお母さんが、赤ちゃんを抱くようにしながら、自分の頬を、冷たい赤ちゃんのほほに、ぴったりと付け、じっと目をつむって、最後の親子の別れをされました。その、つむったお母さんの目から、涙が止めど無く、あふれ出ました。
その時、お坊さんである私も、つい、もらい泣きをしてしまいました。その、お母さんの悲しみの深さが、じ〜んと胸にこたえ、今は、ありきたりの言葉では、とても慰める事はできないと知り、一緒に、泣いてあげる事だけだと思いました。
やはり誰よりも、強く子供を愛し、最も深く、悲しんでおられるのは、お母さんに違いありませんね!
号泣だけが、悲しみの表現ではありません。たとえ弔問の人々に、悲しんでいるようすを見せなくても、大切な人を、亡くされた方の悲しみは、言いようもなく、きっと、心の中で泣いている、はずですからね!
「子供にとって、1番の親孝行は、自分の親よりも、1日でも長生きすることです」
しかし、ほんとうの親孝行とは、自分の親を仏教の道に、入らせる事なのですね。
先立った子供にしてみれば、自分の親を泣かせて、親不孝な子になった事を、すまないと、詫(わ)びている事でしょう。そう、しますと、その親も、泣いているばかりでは、いけません。「亡くなった、わが子こそが、実は、一番の親孝行だった」という道を、見つけなければなりませんね!
「亡き子に親が導かれて、神仏に、心から、手を合わすようになれば、親にとっては、自分の子が、人生の先生なのです」(それが、先立つ子供の使命でした。親は、子の死を無駄にしないような、人生を歩んで行く事が、一番の供養になるのですね)

A、「わが子の使命」
あなたの所へ生まれて来る子供が、まだ、み仏さまのフトコロに包まれている時の事です。
今度、あなたの所へ生まれる事になっている子供の寿命が、6ヶ月しかない事を知った、み仏さまが、わが子に語りかけたそうです。
「おまえが今度、生まれる事になっている子供の寿命は、6ヶ月しかないから、もっと長い寿命を持った子供の時に、生まれては、どうか?」
その時、わが子は、み仏さまに、こう言ったそうです。
「み仏さま、私の寿命が、たとえ6ヶ月であったとしても、私は、あのお父さんと、お母さんのいる所へ生まれます。 そして6ヶ月の間、み仏さまのお仕事の、お手伝いをしたいと思います」・・・・
ですから、あなたは、そのみ仏さまのお仕事が、何であったのか? という事を聞いて行くことが、わが子に対する供養なのですね。
わが子は、何が大切か? を教えに来てくれた、み仏さまかも知れませんね〜
わが子の死をムダにしない事が、亡き人への、最高の思いやりでしょうね。

B、「死んだ子に、教えられ」

私が、子供を亡くした時、誰かに、救って欲しかったので、同じような人を探して、小林一茶や島崎藤村や、尾崎喜八先生に出会いました。

赤ちゃん用の小さい棺に、私の子供を納め、死出の旅ですから、きれいな、きれいな着物を着せてやり、中にお花を、たくさんつめました。
お寺の子だから、お数珠をいれ、お線香も入れ、おもちゃも入れました。そして、ビニールの袋に、お乳をいれて、そこに、黒い字で「おべんとう」と書いて、持たせてやりました。
そして、私と妻の写真を、子供の耳にピタッとはりました。なぜ、貼ったかと言うと、火葬場での、ゴオーッという、火の音を聞かせるのが、かわいそうだったからです。
さらに、おじぞうさまの写真と、手紙を入れ、お地蔵さまに、お願いしたのです。「この子は、まだ、とても小さい子供ですから、途中で道に迷ったら、どうか、だっこして、やって下さいね」と・・・・。
そして、やっとの思いで、送り出したのです。しかし、なかなか悲しみは、消えません。
そんな時、小林一茶は生き物を、わが子と同じように育てましたから、私も、この子の代わりに、梅の木を育てようと、思いました。
それから数年後、大阪はすごく暑い夏になりました。真夜中に、私はびっくりして、目がさめたのです。「あいつ、のどが乾いている」 日中、あの子の木の根が、カラカラになっていた。
庭に下りて、私は、あの子に水をやりました。まわりの木にも、水をザアーッと、まいてやった時、私は、よいことを教わった、ような気がしました。
「そうだよ、お父さん。一生涯に命が、一回だけなのは、人間だけではないんだよ。ぼくたちだって、のどが乾くんだよ。ぼくたちみたいな、小さな命を、お父さんたち人間が、守ってくれなかったら、いったい、誰が守ってくれるの?」
わが子の命は、すべての生き物の中で、再び生きているんだ。と思えるように、なりたいものですね!
そうすれば、自然にエコロジー(自然環境を守ろう)が、実現できますよ!
           

C、このように、お坊さんですら、悲しみを越えることは、難しいのですから、この私が、皆さん方に「人生は無常だから、愛する人とも、いつかは別れなければ、ならないのですよ」と、お教えしても、悲しみを越える事など、そんなに、簡単には行かない、と思います。
俳句で有名な、小林一茶は家庭的には、不運な人で、51才で結婚して、3男1女をもうけたのですが、長男も長女も次男も、次々に幼くして亡くなりました。
特に愛していた長女が、天然痘のために、1才で亡くなった時、一茶は「露の世は 露の世ながら さりながら」と、なげいて詠(よ)みました。 この世は、はかない露のような世界だと、教えられているが、それを頭では、よくわかっている。しかし、私には切なくて、せつなくて、たまらないのです。
法華経の如来寿量品第16には「いつも心に、悲しみの泉をたたえておれば、あなたが、どんなに迷っても、心配はいりません、すぐに、迷いからさめる事が、できるのですよ」と、説かれていますし、坂村真民さんは「悲しみは、この私を美しくする花、どんな時にも、枯らしてはいけません」と、言われています。
み仏さまは「悲しみを大切にしなさい、悲しみは宝です。悲しみは、あなたを育てる、大事なものなのですよ」と、呼びかけられていますね。
悲しみから、ほんとうの愛が生まれる、悲しみから、本当の温かさが生まれる、悲しみから、ほんとうの人間が出来あがる。ああ!悲しみを失っている人ほど、神仏をなげかせる者は、いないのですよ!  

D、「人は、泣きながら、生まれてきたんだよ。長い人生だもの、泣く事もあるさ。そのたびに成長して、すばらしい人間になる事ができるんだね。きっと!」
「どんな悲しみにも、それに、ふさわしい幸せが、きっと待っているんだよ。さあ!くじけずに」

E、「亡くなった子供からの、お便り」
 ●お父さんお母さん、私が生きていたのは、短い間でしたが、その間は幸せでした。私を思い出した時は、幸せであったと思って下さいね。この私を、思い出してくれる人がいると、思うだけで、うれしいのです。
 ●お父さんお母さん、二度とない、今の世を、一日一日を大切にして、幸せに暮らして下さいね。そして、少しでも長生きして下さい。それが、私の願いです。
 ●もしも、私が死なずに、生きていたとしたら、いくらかは世のために、役立つ事ができたと思います。その、できなかった事を、私に代わって、少しでも、して下さいね!