「死を見つめて、生きる意味を知る」     


 この私は生まれ、年老いて、病をもって死んで行く、という事実から、どのように解脱すればいいのかを、教えているのが仏教なのです。
 仏の教は「死」を教えているけれども、「死」を恐れてはいません。この私が生きているという事の証は、今しかない。自分自身の心臓は、私に関係なしに動いているという事は、止まる時も、ひとつも、この私に相談しない。
 それを無常と言う。人は「生死無常」で死ぬという、ものすごい真理に、気づいて欲しいと思います。
 仏の教は、まず人間を救う為にあります。その人間に今、生まれているのですから、この私の人生を、大事に過ごさなければなりませんね。
 私達は、自分の生活が一番大事で、その生活を充実させるために、仏の教があると思っていますから、生活のあい間、あい間に仏の教を学んだり、信心すればよいと考えています。
 しかし、それは間違いで、この私の生活や人生すべてを支えているのが、仏の教なのです。私の一日の生活は、仏の教の中で展開する。それが分かれば、
安心して生活できますね。
 いつでも、み仏さまと相談できるという、人生を歩んで行って欲しいとおもいます。
仏の教では「刹那(せつな)生滅」といって、この私は一息一息の間に、生きたり死んだりを、くリ返しており、その連続によって、私の命が保たれていると、教えています。
 「刹那」とは、75分の1秒のことで、「雨にも負けず・・・」や童話で有名な・宮沢賢治さんは「交流電灯のようです」と書かれています。
 この私は、あやうい命を持ちながら、今日一日を無事に、過ごす事ができた訳ですから、私の生活の中に仏の教が、どのように生きているのかという事を、しっかりと自覚せねば、なりませんね。
 それが分かれば、自分の命も他人の命も、共に、かけがいのない大切なものである事が、理解できるようになります。
 つまり、一人一人の命の中に、み仏さまがおられて、その教えが息づいており、この私の命が終わっても、ちゃんと帰るところがある、という事に気づいて欲しいですね。
 これが「仏の教を中心とした生活」であり「この私の命の指向性が定まる」ことです。すばらしい事やなあ!
 この私の肉体は、借りている物ですから、当てにしたらダメ、ダメ。他の人の事ではない、あなた自身の命の話や。真剣に!真剣に!
 この私は、このたび人間として生まれてきたと言う、またとないチャンスを、のがさずに、人間として完成して、死んで行く事ができれば、苦しみの6つの世界(地獄〜天まで)へ、再び生まれる事はないのですよ。
 くわしくは「地獄と極楽って、なあ〜に?」を、ご覧ください。
 なにも「地獄」とは、死んでから後の話ばかりと違う。自己中心的で、欲求不満な乱れた生活をしていると、ひとつも自分の心が安心しない、これが地獄や!自己の限度を知って、欲望をコントロールし、感謝に満ちた生活を送ってゆく姿が、極楽(天国)ですね。
 あなたも、そういう心を持っている。あなたが死んで、自分の持っている心が、この体の上にあらわれて来た時には、もう手遅れや!
 この私が、仏の教に生きて、自分の命がどこへ行くのか、と言う事がわかったならば、何よりも先に、子供に伝えていかなければ、なりません。地位や財産を与えては、いけません。それをアテにし、骨肉の争いをする。
 「命が大切だと思っていた時には、生きていることが苦しかった。しかし、命より大切なものがある、という事を知ってからは、生きて行くことが、楽しくなった」という、詩があります。
 「命より大切なもの」と出会った時、はじめて、この私の命を、何が支えているのかが分かるのです。それは仏の教によって、出会う事ができるのですね。はかない命を、この私に与えてあるという事は、永遠の命に気づいてもらう為です。「死ぬ命がある」ということは、必ず「死なない命がある」という事になります。
 この私が「地獄や死」を恐れる訳は、自分自身が「地獄や死」を経験しているからですね。
 人間の世界では、結果が出ないと、罪にはなりませんが、仏教では、頭の中で「あいつを、殺したろか?」と思っただけで、罪となるのです。だから、地獄へ落ちる材料は、すべて、この私の中にあるのです。
 つまり、この私の未来を知りたければ、現在、自分が作っている原因を見れば、ちゃんと分かるのですよ。
 この私は、地獄から生まれて来た者ですが、このたびは、人間に生まれさせて頂いた事によって、み仏さまから、地獄と縁を切る為の、チャンスを与えらえれています。それが、ありがたい事ですね!だから、大切に生きて行かないと、いけませんね。
 そういう心がまえで、この私の人生を、輝きのある充実したものに、していく事ができたならば、いつ、お迎えが来ても安心ですね。
 仏の教とは、不安な明日を、安心して迎えられるし、今も、おだやかに過ごして行けるもので、この私に、安心を与えてくれますよ。