3, 妙法蓮華経 如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)
        第十六 <法華経・自我偈(じがげ)>
 

 おシャカ様である私が、み仏となったのは、計算もできない、その昔。 それから後は、休まずに、正しい道を説き示し、数え切れない人々を、救って来たんだよ。
 そうする為の手段として、私は死んだ姿を、見せたりもするが、どうして、おシャカ様が本当に、死んだりなんか、するものか。 いつでも、どこでも、誰にでも、あなたのそばに居るのだが、かたよったり、こだわったり、とらわれたり、している心の持ち主には、私の姿が見えないよ。
 おシャカ様が死んだと言われると、そこで、あわてて、その教えを聞きたい、ものだと思うのさ。 こうして、皆が清らかで、素直な心にたち返り、ただ一心で、み仏に会いたくなり、命がけで祈ったならば、おシャカ様は弟子を引き連れて、あなたのそばに現れて、「私はいつでも、ここに居る。 ところが、正しい教えを聞こうとは、しないから、みんなの目をさます為の、方法なのさ」と、本当のことを教えるよ。
 この地球に終わりが来て、みんなが焼け死んでいる時でも、おシャカ様の国は安全で、楽しい事に満ちあふれ、多くの人々が住んでいる。 
 かたよったり、こだわったり、とらわれたり、している人は、その心が原因となって、怒ったり、苦しんだり、悩んだり、しなければ、なりません。 こうして、自分の苦しみの原因に、気がつく事もなく、欲望の深みに、はまり込んでしまい、み仏の教えも知らずに、悩み続けるのですね。
 それとは違って、人々の為に努力をし、素直で正しい人ならば、おシャカ様が、いつでも自分のそばに居て、励まし、守っておられる姿が、見えるはず。
 おシャカ様には、人々の心の中が、よく分かり、ものの正体も、よく見えて、間違った事は絶対にしない、スーパー仏だ、頼りになるぞ! み仏の身体からは、まぶしいような光が出て、この世の闇を、静かに照らすのさ(静照寺の名前の由来)。 そして、おシャカ様の本体は、死なない命を持っていて、計算もできない昔から、永遠の未来に到るまで、休まず、多くの人々を救い続けているのだよ。
 み仏さまの本当のお姿を、あなたにだけには、しっかりと分かって欲しい、と思います。 正しい智慧のある人ならば、きっと理解ができるはず。
 おシャカ様は、みなさんの生命の父親なのだから、子供である人々の苦しみを、黙って見てはいられない。 しかし、迷っている子供たちの、目をさまさせる為に、おシャカ様は80才をもって、インドで死んだ、と言わせているのだよ。
 しょっちゅう、み仏に会つていると、いつでも教えが聞けるものと、心がたるんで、欲望がだんだん、ひどくなるからさ。 おシャカ様は、皆がどれ程しっかりと、まじめに、素直に、真剣に、正しい教えを聞こうと、しているかを見ぬいて、その人に合った教えを説いて来たので、法華経のような完全な教えや、それ以外の不完全な教えが、たくさん残っているのだよ。(多くの、お経があるのは、この為ですね)
 スーパー仏のおシャカ様は、「どうしたならば、すべての人々に、最高の教えを悟らせて、この私と同じような、み仏にすることが、出来るのだろうか?」と、いつも考えておられるのですよ。

(これは、私なりに、如来寿量品の一部分を思い切って、現代的に、意訳したものです。)

4、 法華経 方便品(ほうべんぼん)第二  
 この時まで、精神集中し座っておられた、スーパー仏のおシャカさまは、完全な教えの「法華経」を説き明かす為に、静かに立ち上がると、智慧第一のお弟子・シャリホツ尊者に、こう言われた。
「み仏さまのお考えは、きわめて深く、はかり知れないもので、み仏と同じ心に、近づく事さえ難しいんだよ。 教えを聞いたり、本で読んだりして、すっかり分かったように思っている、第7ステージの悟りに到達している、声聞(しょうもん)の位の人々や、ものごとが生滅するメカニズムを発見し、ただ自分だけの悩み・苦しみがなくなって、自分の心が穏やかになりさえすれば、それで満足している、第8ステージの悟りに到っている、縁覚(えんがく)の位の人々には、まるで見当もつかない事なのさ。
 なぜかと言うと、おシャカさまは、数え切れない程の、み仏さまに教えられ、多くの修行をし終わって、第10ステージの完全なる悟りに、到達したからなんだよ。
 スーパー仏のおシャカさまは、完全なる悟りを、多くの人々に分からせる為に、相手によって、言い方を変えたりして、たくみな手段(方便)で、教え導き、さまざまな苦しみや悩みから、解放させて来たのですね。
 み仏さまは何でもお見通しで、世界の出来事で分からぬものはないし、公明・正大、一番確かなモノサシだ!
 その教えの説き方は、子供でさえも、よく分かり、話し方がうまいから、誰でも喜び、聴いている。スーパー仏に、できない事は、1つもないさ。
 そして、あなたが早く、み仏と成って、その悟りを味わい、本当の世界の姿を、見つめてね!
 すべての、ものごとが現れる時は、『どんな姿・形をしているのか? それは、どんな性質を持っているのか? その、ものごとの奥にある本体は、何なのか? それらの、ものごとに、どんな力が備わっているのか? その力は、どんな働きをするのか? また、それらの力がお互いに作用しあって、さまざまな変化をつくり上げていく時に、どういう原因が、どういう条件によって、どういう結果を生み、その後に、どんな影響を残すのか?』という法則は、すべての事物に通じるものであって、その法則に依らずに存在する、ものごとは、1つもないのさ。 だから、この世界には、確かで、永遠に続くものは、何もないのね。」
 これが、目に見える事実や、現象の本当の姿だね。 だから、お金や物の欲望にとらわれないで、永遠の真実の教えである「法華経」を、学んで行こうよ! みんなで一緒にね!
 
(これは、私なりに、方便品を思い切って、現代的に、意訳したものです。)