21世紀へのメッセージ       

@、まず、この私に必要なことは、人の意見を聞く耳を持ち、その意見に「うなずく」事ができるだけの、広い心を持って、その意見の「善し、悪し」を、判断することですね。
自分の意見だけが、正しいと思っている人には、真理が分からないのです。
いつも心を柔軟にして、「まじめに、すなおに、真剣に」教えを聞く、態度を持たないと、み仏さまの真理は、理解できないのですよ!
み仏さまの教えを聞いて、身につける為の、一番の方法は、「すべての教えが、皆、この私のことを言っているのだ」と思って、自分の事として聞き、学ぶ点は学び、反省する点は反省する事ですね。人ごととして、聞いていたのでは、少しも身につきませんよ!  

A、今しか、ありません、今を、いかに生きるか?です。 
この世に、人は生まれて、美しい花を見ることができるのです。 愛しあう事ができるのです。
与えあい、信じあい、助けあう事ができるのです。 大自然の恵みに、ご先祖様のおかげや、父母の愛に、感謝する事ができるのです。 それが大切です。
この地球が、花につつまれ、あなたの幸せが、たくさん実るように、今のうちから、よい種をまいて、おきましょうね!

B、ほんとうの幸福とは、人の悲しみがわかって、一緒に泣ける、幸福です。
貧しくても、病気になっても、明日、死んでも、今日を感謝できる、幸福です。 お金や地位や、財産がなくても、こころ豊かに、生きられる幸福です。 もてはやされなくても、この私が、やすらかに生きられる、幸福です。
この世での、幸福はすべて、時間と共に、消えてしまうのです。 だから、悔いのない人生を、送って行きたいものですね。
この私は、何のために、生まれてきたのですか? 使命に生き、人を愛するためです。 みんなを愛し、自分を大切にして、ほんとうの幸福に、生きようではありませんか!

C、この世の、むなしい快楽や財産があれば、幸福だと思っているから、この私が死んでいく事を、恐れるのですね。
そんなものに、しがみついているから、死ぬのが怖く、恐れ苦しむのです。
それは、この世のおみやげに、置いていけば、いいのです。 そう決めたら、この私が、どうする事もできないことを、すべて、み仏さまに、おまかせして、この世に生まれた事に、感謝して、ありがたく生き、サラリと、死んでいけば、いいのです。 
ありがたく死ねるように、生きていくのが、一番ですね!

D、多くの人が、幸福を求めながら、不幸に泣いている。
地位が低くても、お金がなくても、もてはやされなくても、不運な人生であっても、この私が生まれて来たのは、何の為なんだろう?
そうだ、地球が美しいように、この私も、美しく生きよう! 道ばたの雑草でさえも、力いつぱい、咲いているではないか! どんな、悲しい運命の人でも、美しく生きることが、できるではないか?! 

E、愛するものの為に生き、愛するものの為に苦労し、愛するものの為に死ぬ、これが、私のポリシーです。
愛するものの為なら、苦労が苦労でなくなるのです。 愛するものの為に、苦労することが、人生のいきがい、なのです。 そのとき、人は幸不幸を越えて、よろこびを感じるのです。
多くの人々は、楽をすることが、幸福だと思っています。 そして、お金がもうかれば、高い地位を得れば、世間にもてはやされれば、それが、人生の幸福だと思っています。 それは、この世のまぼろしです。
そうして人は、幸福を求めて、不幸に泣くのですね。 そんな、いっときの幸福は、いらないと決めれば、この世に、不幸はないのです。
人生の真実は、愛するものの為に生きる、無私の愛です。 愛するものの為に、自分を捨てるのです。 いや、この私をささげるのです。
今の日本人は、愛するものがなく、自分だけが大切で、欲望ばかりを追っているから、どんなにお金や、物があっても、それでは満足せず、苦しみから、抜け出せないのですね。 自分の欲望に、しがみついている限り、人は救われませんね。
この私が、人間に生まれる事ができた、このチャンスを大切にして、生かされている、この命の尊さに、手をあわせ、思いやり、助け合いながら、そして、人間どうしが、相手を尊重しあう事のできる、すばらしい人間へと、さらに、さらに、進歩しなければなりません。
世界中が仲のよい、地球浄土をめざして!!

F この私が、一人前の人間になるために、人生の失敗も必要でした。ムダな苦心も、悲しみも、悩みも、すべて必要でした。私が、人間完成できたのも、みんな、人生の苦しみのおかげです。恩人たちに、手を合わせ、ありがとうございます。と、ひとりごと!

G 「そのうち、お金がたまったら。そのうち、家でも建てたなら。そのうち、子供から手がはなれたら。そのうち、時間のゆとりができたなら。そのうち、そのうち・・・・と、できない理由を、くり返しているうちに、結局、何もやらなかった。むなしい人生の幕がおりて、さびしく墓に入る。今、来たこの道、もどれない」 (相田みつを氏の詩)
永平寺を開かれた、道元禅師は「心の底から、願い続ける事は、必ず、実現できる!」と、言われています。その為には「無常を思え(明日の命はないと思え)」と、教えておられるのです。
「わかって、いるかい、死ぬんだよ!そう、あなたも、この私も」 死を忘れ、無常の命を忘れた時、そこに、しのび寄ってくる思いが「そのうち・・・」と言う、間のびした心であり、生き方なのですね。