「いただきます」・「ごちそうさま」って、ど〜んな意味!?
●この私は、多くの生き物に、迷惑をかけなければ、生きて行けないのですね!
私が生きていく為には、食べ物として、多くの生き物を、犠牲にしなければ、ならないので
す。そう考えると、この私が「生きている」のではなくて、「生きさせて、もらっってい
る」という事が、わかりますね。こういう事に、気がつけば、世の中の見方が、変わって
くるのでは、ないでしょうか?
「この私が、クモに生まれかわって、アミをはり、虫を取らなければ、ならないのかな」
虫の命を犠牲にしなければ、生きていけない、という心の痛みが、表現されていますね。
「あなたも、私も、チョウチョも、花も、みんな仲よく、生きている。1つの世界に、生
きている。たのしく楽しく、生きている」仏教の思想には、人間は万物の霊長である、と
いう思い上がった、考えはありません。1つの命が、縁によって、人間になったり、虫や花
になったり、するのですよ。
「共生(きょうせい)」とは、きれいごとでも、みんなで助け合っていきましょう、という
甘いものでも、ありません。他の生き物を、犠牲にしなければ、生きて行けない、という痛
みを、心の中に感じていく、という生き方が、大切なのですね。
この私は、他の人や、多くの生き物に、迷惑をかけなければ、生きて行けない、という事
を、ちゃんと踏まえて、それならば「できる限り、回りのものの、お役に立つような、生き
方をして行こう」という、積極的な考えが、生まれてくるでしょう。だから、この私と世の
中との、かかわり方を、もう一度、見なおしてみたい、ものですね!そこで初めて「痛みを
感じながら、共生する」という、生き方や人生観が生まれてくる、と思います。
仏教的な共生で言うと、力で相手を滅ぼそうとすると、自分も、また滅ぼされてしまいま
す。力で勝つものは、必ず力で滅びます。だから、この私を生かして行こうと思うならば、
必ず、相手も生かして行かなければ、ならないのですね!
ちょっと、待った!「いただきます」は? 食事の時に、なぜ「いただきます」と言うか、教えましょう。おかずは、トンカツだ。 もとは、どんな生き物だった?トンカツは、豚の肉だ。つい、この間まで養豚場(ようとんじょう)で生きていたんだ。野菜も、畑で青々と育っていた、生き物だったんだよ。 食事をするという事は、動物や植物の命をいただくという事だ。つまり「命をいただいて、ありがとうございます」という事が、「いただきます」なのか! たくさんの尊い命をいただいて、この私は生きているのだから、自分の命も大切にして、正しく生きなければ、動物や植物に申し訳ないんだよ。 でも、一つ一つの命に向かって、言うのは時間がかかるから、心をこめて、手を合わせて「いただきます」を言いたいね。 有名なホテルの料理長の話だ。「なんで食材を捨てるんだ!残らず調理して、おいしく食べてもらわねば、殺された動物や植物が、かわいそうではないか」 食べ残して、捨てていたんでは、食べ物に申しわけないよ。好ききらいは、なくそうね。 「ごちそうさま」の「馳走(ちそう)」とは、お食事などの、おもてなしをする為に、あちこち走り回る意味なのよ。 食材を飼育・栽培し、そして、収穫したり、海で漁をしたり、それを運んだり、加工したり、販売する人たちの、長い時間と多くの苦労があって、はじめて、お料理がテーブルに並ぶんだよ。 だから「みなさん、ありがとうございます」の、気持ちを込めて「ごちそうさま」なんだね。 たくさんの命に、手を合わせて「いただきます」感謝をこめて「ごちそうさま」なんだね! ●今こそ、考えてほしい「命の尊さ」を! あなたの子供さんや孫さんが、大人になる頃には、地球上の人口は、100億を越えることは確実です。 その時、地球は100億人の胃袋を、満たす力はありません。その時、何が起こるか・・・? それは、食料のうばいあいですね。食料を求めて争う、この世の地獄を、お子さんやお孫さんに味あわせたくなければ、今のうちに、命の尊さを、教えておいて欲しいのです。 その1番の近道は、食事をする時に、手を合わせて言う「いただきます。ごちそうさま」の言葉なのですね。この言葉によって、命の尊さがわかれば、ムダな料理や、食べ残しもできなくなるでしょう。人間以外の動物や植物との共生も、真剣に考えるに違いありません。 「うばいあえば、足りないが、わけあえば余る!」という事にも、気づくはずです。お父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃんが、お子さんやお孫さんたちに、今、教えておかなければならない事を、しっかりと教えておいて下さいね!どうか、よろしくお願いしますよ。 合掌 |